区切ること

早起き、ピアノの練習、筋トレ、食事作り、洗濯、見舞い、運転、親戚の子守り・・・いろいろしてはいる。

しかし、なにか充足感のようなものが希薄だ。

物事自体はそこそこきちんとできているが、それをやり始めるやり終えるといったところを周囲に反応してやっている感覚が強く、主体性を失っている気がするのだ。

何か自覚的に行動するための基準にするものが必要だと感じた。てっとり早いのは"時間"だろう。

明日からは多少窮屈で融通が利かなくなるとしても、相手に冷たいと思われても、あらゆるタスクに"時間"を定めることにする。

誰かと関わることならば、時間の取り決めをするまで、絶対やり始めない。

生ごみ冷却機

実家の冷蔵庫を整理していて思った。

ギュウギュウなのに美味しく食べられるものは半分もないかもしれない

。どうしてこんなに残念な中身になってしまうのか、自分なりに考察してみた。

まず、食べたいという気持ちだけで買っていたり、あるいは定期便として惰性で受け取っている。

→その一部だけ食べて満足するあるいは飽きる

→残りを放置(味が落ちる)

→冷蔵庫に保存

→忘れる

→味が落ちる、悪くなる

→さらに捨てるのも忘れる

ダークマター化する

→触りたくなくて放置

→冷蔵庫の容量を圧迫

→新鮮なものさえも見えにくくなる。

→残っているのに新しいものを買う。(以下ループ)

こうしてしょうもない冷蔵庫ができあがる。

おそらく、大きな問題は三つ。

一つ目は、食の欲求は種類と量の2つがあることを意識していない。

二つ目は、買うときと食べ終わった直後では食材への関心が変化することを学習していない。

三つ目は、冷蔵庫や冷凍庫を食物劣化を止める魔法の箱だと思っている。(冷蔵庫を"解決"だと思っていること)

ここらへんからアプローチしていくと、生ごみ冷却機から、開けるとわくわくする魅力的な冷蔵庫に変わっていくように思う。

口にするもの

滞在中の実家と病院を行き来する日々が続く。

その中で間食が増えているように思う。

テーブルにあるからなんとなく、他の人が自分の分も用意してくれたから、勧められたから、賞味期限が近いから、理由はいろいろ挙げられるけれど結局は自分が食べているのだ。

食べることはいいことだけど、食べ方を間違ってきていると思う。

本当は食べたいと思っていないものなのに、自分をあやすように、または他者に合わせて、食べ物を口にしているように思う。

とりあえず明日からは間食を2つまでにすることにする。

こころとことば

子どもの時代というものは大人が思っているよりずっとずっと"大人からのことば"を欲しているのではないか。

久々に会った親や兄弟が、過去の恨み言をしだして止まらなくなる様子を見ていると思う。その全てが、こんな言葉が欲しかった、あんな言葉欲しくなかった、というところに行き着いている気がするからだ。

自分は決して手本になるような人間ではないし、お金も力もない。

けれども、ことばぐらいはきちんと自分のこころとあたまで選んだものを渡したいと思うし、こころを磨くことばを沢山身につけたい。

どんなときも、ことばを選ぶこころの余裕をもって生きてゆければいいな。生きていこう。

洗濯槽のカビ

洗濯槽の徹底洗浄をした。

昨日から取っても取っても出てくる黒カビがようやく出尽くしたようだ。

試しにテスト洗濯してみた。小さな黒カビがわずかに付着したが、払えば落ちるし、なにより今までは洗っても雑巾みたいなにおいがしていたタオルがほぼ無臭になった。

ところが父に以前のタオルと今回のタオルを嗅わせてみると、違いが分からないそうだ。それどころかカビ臭いタオルの方がいいと言い出す始末だ。非常に残念な気持ちになる。

自分の洗濯物をきれいに洗えるようになったのはいいものの、普段この洗濯機を使っている人の実感が得られないとなんだかやった甲斐がない。まあゆっくりかけて実感してもらいたいものだ。

家事とメンテナンス

実家の手伝いで家事やらなんやらする生活も1週間。

母は家事をイヤそうにやっていたけれど、その割になのかそのせいなのか、結構雑というか見ない振りしてたであろうところが目についたりする。

たぶんなんでも、イヤイヤやると、一生懸命やっているつもりでもいいかげんになってしまうのかも、なんて思った。

逆に楽しめさえすれば、どんどん上手に、そして手際よくなるんじゃないだろうか。

それなら、できるだけイヤイヤが減るための工夫、自分が楽しめるための工夫にこそアタマとココロを使うべきじゃないかと感じた。

今日はとんでもなく汚い洗濯層を洗浄したが、まだまだのようだ。こんな洗濯機で洗った服を着てたと思うと、気持ち悪い。明日炭酸ナトリウムを追加投入して徹底的に洗浄しよう。

知識は何のため

今日も入院している母の見舞いに行く。

食事を禁止され点滴のみの生活が一週間続いていて、検査も多く辛そうだ。父も毎日2回様子見に病院へ行っては、もやもやして帰ってくるようだ。

父を見ていると、心配が心配を呼び、知識が不安を呼び、不安からいろいろな憶測をし、それがまた新たな不安を呼びストレスになっているようにも見える。

こういうことは父の性分なので驚きもないが、父までダウンしないようにできることはしようと思う。